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加納俊雄会長訪問記 |
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帝京大学文学部教育科 准教授 中山京子 |
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2010年7月29日、石和温泉駅から、全国グアム島戦友会会長、加納俊雄会長を訪問した。戦友会の事務局長、小川東二氏に案内されて、会長宅に向かうと、自宅前にスッと立つ人の影。「11時頃と言うから11時からここに立ってたよ。」と、ぱりっとした糊の効いたブルーのシャツを身に付けて出迎えてくださった。時計の針はすでに11時半近い。 私はね、32回グアムに行ったよ。なんでこんなことをしたかを話すからね。 私は参謀の斥候だったから道を間違うと死ぬんだよ。走るのが速くて斥候になったわけ。山梨の遺族をグアムに連れて行きたくてね。これは50年前につくった旗。写経は昭和50年から続けていてもう4000枚は書いた。 足がよくなってから、四ヶ月間、ニミッツ中将のゲストハウスの床磨きの仕事を与えられた。負傷者だから重労働はむかないから。床磨きばかりではなく、厨房のコックが手伝えと言うんだ。唐揚げをつまむこういうの(トングのこと)が短いもんだから、熱いのをいやがっているから、竹で長いのをつくってやった。毎日毎日監視がついてね。 加納会長は上記の他にも語られた。上記は私の心に残った語りの抜粋である。メモをとりながら涙がうかび、また加納会長のユーモアに救われた。1時間たつと、「もう昼どき。腹へって仕方ないよ。食べながら話そう。」と外出の準備。あまりお身体にご負担をかけてもどうかというこちらの心配をよそに、90歳の加納会長が案内して下さったのはトンカツ屋。私が注文するから任せときなさい、とおっしゃる。出て来たのは、小ぶりのトンカツ2枚と20センチほどあるエビフライ、山盛りのご飯とキャベツ。その量に驚きながらも、ご老人だからと思い、海老フライやトンカツを小さく切って差し上げようかと思ったが、そのようなことはまったく無用で、トンカツ、海老フライをどんどん口に運ばれ、私よりも早く完食された。今時の少食な若者はその半分も食べないだろう。90歳のご老人に負けじ、と私たちも皆完食。 戦争の記憶を語り継ぐことは容易ではないが、直接お話を伺うことができ、幸いであった。
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![]() 日本軍の上陸作戦は、S16(1941)年12月10日0230頃、(天明は0530)開始された。 (1)松山・馬田 (2)太郎湾 (3)富田湾 |
![]() これが「千人針」で、戦場で唯一の傷の手当てをした、包帯だった。 |
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この千人針には、5銭と10銭が、縫い込んである。 |
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グアム・テニヤン合同墓碑 墓参報告 |
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平成18年4月2日の第39総会の、翌3日は、グアム・テニヤン合同墓碑の墓参が行われ、芝崎久也顧問から当時のいきさつなどについて説明がありました。
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![]() 墓参の人々 |
![]() 阿龍山瑞専寺 |
| グアム・テニヤン合同慰霊 墓碑・墓暦 |
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| グアム・テニヤン戦没者合同慰霊墓碑 由来について |
第二次世界大戦終結後、昭和20年10月末 グアム捕虜収容所の準士官以上が 米軍の許可を得て 中部太平洋マリアナ海域、グアム・テニヤン島激戦地の玉砕将兵の遺体1200柱を収容し、氏名不詳のまま荼毘に付し
昭和22年復員時、第29師団作戦参謀 故武田英之氏一行が奉持 帰還 復員した。 平成13年5月14日 全国グアム島戦友会 |
1970年慰霊碑日米合同起工式 |
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グアム平和慰霊公苑 Guam Peace Memorial Park 慰霊碑日米合同起工式 財団法人南太平洋戦没者慰霊協会・米国キリスト教団 |
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| ★☆ 日本側主賓 ☆★ | ||
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代表者 国会議員 総務長官 | 植 木 光 教 氏 |
| グアム島戦友会 慰霊団長 国会議員 | 中 尾 栄 一 氏 | |
| 全国グアム島戦友会 会長 | 吉 田 重 紀 氏 | |
| 南太平洋戦没者 遺族代表 | 小 畑 か な 氏 (南方面軍総司令官 小畑中将令夫人) |
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![]() 植木総務長官 |
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![]() 慰霊碑の鉄骨 |
![]() 日本僧侶と重機による作業風景 |
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![]() 米国キリスト教団 |
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![]() 来賓挨拶 |
![]() 日米宗教者と慰霊団 |
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![]() 慰霊の碑 |
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![]() 慰霊の碑 |
写真提供:加納俊雄 (全国グアム島戦友会 副会長) |
![]() 昭和45年ミクロネシヤホテル |
1982年ジーゴ平和寺 落成式 |
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| Catholic, Buddhists dedicate chapel; Sept.3rd., 1982 | ||
![]() 叉木山から平和寺を見る |
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![]() 挨拶をされるカルボ グアム知事 |
![]() 巌谷式典委員長 開会の辞 |
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![]() 慰霊を演奏する楽団 |
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![]() 祝福をするフローレス司教 |
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![]() 土佐師、巌谷団長,フローレンス司教 カルボ神父、植木理事長、柄越総領事、ゴードン神父 |
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日本から参加した会衆 |
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戦友会会長 加納俊雄氏写真集 |
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![]() 昭和45年(1970年)2月8日 グアム島戦友会 熱海グランドホテル |
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![]() 昭和46年(1971年)2月7日 戦友会 ホテルニュー静岡 |
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![]() 昭和48年(1973年)2月3日 戦友会 ホテル さがみや |
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![]() 昭和53年(1978年) Fort Sauta Agneda |
![]() 山梨県 グアム島戦友会 |
![]() 昭和55年(1980年)11月14日 グアム島戦没者 慰霊団 慰霊塔前 (又木山・ジゴ) |
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![]() 全国グアム島戦友会吉田会長 「悲しみの追悼の辞」 参列者の涙をそそる |
![]() 昭和55年(1980年)11月14日 全国グアム島戦友会主催合同慰霊祭 叉木山に読経が静かに密林に消えて行く |
![]() 昭和57年(1982年)10月22日 グアム島戦没者慰霊団 慰霊塔前全員記念写真(叉木山・ジゴ) |
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| 昭和58年(1983年)2月2日 静岡新聞 平和寺 初代主任 住職を報ずる |
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![]() 昭和59年(1984)9月22日 グアム島戦没者慰霊団全員写真 (叉木山・ジゴ) (昭和61年名簿収録の写真) |
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![]() 昭和60年(1985年)2月2日 第18回全国グアム島戦友会 箱根湯本・吉池 (昭和61年名簿収録の写真) |
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![]() 昭和61年(1986年) 第19回全国グアム島戦友会 有馬 ロイヤルホテル |
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![]() アンダーソン基地 ここには、一般人は入れないのですが、特別に日本の「戦友会」だということで、入れたのです。 このB52爆撃機はベトナム戦最後の爆撃に行ったので基地に残したのだそうです。 |
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![]() アガニヤ 見晴台と私 |
![]() グアム島の水源地フェンナ 山下様が特別に許されて入ることが出来ました |
![]() 昭和61年(1986年) グアム島戦没者慰霊団 |
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![]() 昭和62年(1987年) 第20回全国グアム島戦友会 秋保温泉 |
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![]() 昭和63年(1988年)4月2日 第21回全国グアム島戦友会 熱海 富士屋ホテル |
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![]() 昭和64年(1989年)4月1日 第22回全国グアム島戦友会 琴平 |
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![]() 平成3年(1991年)4月6日 第24回全国グアム島戦友会 浜名湖 弁天島ホテル |
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![]() 平成4年(1992年)4月5日 第25回全国グアム島戦友会 石和温泉 常盤ホテル |
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![]() 平成5年(1993年)4月4日 第26回全国グアム島戦友会 三笠温泉 奈良ホテル |
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![]() 平成7年(1995年)4月2日 第28回全国グアム島戦友会 松風閣 |
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![]() 平成9年(1997年)4月6日 第30回全国グアム島戦友会 成田市 扇屋旅館 |
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![]() 平成11年(1999年)4月4日 第32回全国グアム島戦友会 信州松代 ロイヤルホテル |
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![]() 平成12年(2000年)4月7日 第33回全国グアム島戦友会 九段会館 |
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![]() 平成13年(2001年)5月13日 第34回全国グアム島戦友会 三谷温泉 松風園 |
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![]() 平成14年(2002年)4月7日 第35回全国グアム島戦友会 九段会館 |
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![]() 平成14年(2002年)10月 ジーゴ 全国グアム島戦友会グアム慰霊巡拝の旅 |
![]() ![]() メダルの授与 全米歴史公園太平洋戦争記念博物館 |
![]() バスの中で、説明する加納副会長 |
![]() 表彰された9名の方々 このメダルは、米軍の戦争60年の記念に造ったメダルで、 戦った日本軍と言うことで、同行の9名のものが貰ったわけです。 |
![]() 平成15年(2003年)4月6日 第36回全国グアム島戦友会 九段会館 |
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![]() 平成16年(2004年)4月4日 第37回全国グアム島戦友会 安芸能美簡保保養センター |
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![]() 平成17年(2005年)4月3日 第38回全国グアム島戦友会 九段会館 |
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| 平成17年(2005年)1月15日 石和温泉アルバム撮影会 |
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