
織田氏 投降勧告文 |
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我が心の勲章 幹事 織田 博 これが 私に 生への道を 選ばせた 「勧告文」である。
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昭和19年(1944年)8月、グアム島を守備する日本軍は極めて優勢な米軍の前に玉砕し、生き残った二千余の将兵は祖国を信じ、敵地となった島の密林で持久戦を継続し、米軍の執拗な掃討戦の眼を逃れ、生きることに懸命であった。 一人になって熟慮の結果、密林内を徘徊することを止め、島の南部に自然洞窟を見つけ、米軍や島民の眼を逃れ、同時に友軍との接触の機会も失い、最後まで孤独な一人であった。 一般社会から遮断され情報ニュースからつんぼ桟敷におかれ、戦局の推移も援軍の救出の可能性とか、密林の友軍の動きなど分らず、果てには友軍は救出され自分だけが島に 私を取り調べた若い米兵が片言の日本語で言った。 [カナ文で読みづらいが、当時を偲んで勧告文の原文の清書を添付する。] |
ガム島「ジヤングル」ニ在る帝国陸海軍人及一般市民ヘノ通達 昭和20年8月16日 ガム島 佐藤少佐 将兵竝ニ 邦人各位 堅実ナル日本精神発揚ト 悽愴苛烈ナル「ジヤングル」戦闘ヲ続行シテ 現在ニ至ツタ 純真無雑ナ心臓ヲ動カスモノハ 結局吾々ノ断乎タル 正シイ状況報告デナケレバナラナイモノト信ジマス。 注意。
佐藤清八 印加 |
グアム平和慰霊公苑来歴 |
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グアム平和慰霊公苑 Guam Peace Memorial Park 来 歴 現在グアムの法人として登録されている |
| 昭和40年(1965年) 7/31-8/14 |
南太平洋戦没者遺骨収集並びに慰霊法要のため |
| 昭和41年(1966年) 7/7 |
(財) 南太平洋戦没者慰霊協会 設立 |
| 昭和42年(1967年) 1/15-1/18 |
南太平洋戦没者慰霊塔 建設起工式 挙行 |
| 昭和44年(1969年) 4/10-4/13 |
南太平洋戦没者慰霊塔 上棟式 |
| 昭和45年(1970年) 6/22-6/24 |
ジーゴ慰霊塔 完成 落慶除幕式 |
| 昭和52年(1977年) 7/22-23 |
南太平洋戦没者33回忌 |
| 昭和56年(1981年) 10/23 |
平和慰霊公苑で平和寺 地鎮祭 |
| 昭和57年(1982年) 9/2-6 |
平和寺完成 落慶式、仏・基合同慰霊法要 導師 |
慈母観音(マリア観音) |
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我無山平和寺のご本尊 慈母観音は、マリア観音とも呼ばれ、我無山平和寺のご本尊です。
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GUAM PEACE MEMORIAL PARK The South Pacific Memorial Association composed of benevolent members, has established this Park and dedicates it to the peoples of the world, especially of the South Pacific, regardless of religious beliefs or affiliations. |
マンギラオ 戦没者慰霊塔 について |
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2006-10-18 筒井久子
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了。 |
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