全国グアム島戦友会2002年慰霊団事務局作成の「グアム島戦跡慰霊ガイド」戦闘概況を採録いたします。
- グアム島の占領
昭和16年(1941年)12月10日未明、陸海軍協同してグアム島松山(メリソ)、太郎湾(タロホホ)、冨田湾(タモン)に上陸し、12月12日占領を完了し大宮島と命名した。
その後陸軍の南海支隊はビスマーク諸島攻略に向かい、警備、民生等は海軍が担当した。
- 陸軍兵力の進駐
昭和19年(1944年)3月より6月まで関東軍を主体として進駐が行われた。
- 米機動部隊来襲
| 昭和19年(1944年)6月11日未明マリアナ諸島に米機動部隊来襲し、空襲始まる。 |
| 6月15日 |
サイパン島に米軍上陸開始。 |
| 6月18日 |
グアム島は空襲に加え艦砲射撃始まる。 |
| 6月13日 |
連合艦隊はZ旗を掲げ、「あ」号作戦開始。20日作戦失敗。 |
| 6月21日 |
小畑軍司令官 パラオより夕刻グアム島着。 |
| 6月22日 |
歩兵第18連隊 第3大隊(行岡支隊)サイパン逆上陸に出発。28日グアムに帰着。 |
| 7月07日 |
サイパン島守備の日本軍玉砕。 |
| 7月14日 |
高品師団長はグアム島北部守備隊の歩兵第18連隊2大隊 (丸山大隊)をマンガン山に、混成第10連隊(竹内大隊、谷島大隊及び砲兵)を折田(オルドット)転進を命じた。18日頃到着。 |
| 7月18日 |
東条内閣総辞職。 |
| 7月21日 |
大本営はグアム島、テニアン島を絶対国防 圏域から除外する決定をしたが、軍司令官、師団長には通知しなかった。 |
- 米軍グアム島に上陸
7月21日8時 浅間(アサン)の混成48旅団、中村大隊正面と昭和湾(アガット)の歩兵第38連隊 大原大隊正面との二方面に同時に上陸を開始した。米上陸軍の総兵力は5万5千。砲弾と爆撃、機銃掃射は荒れ狂った。
この夜歩兵第38連隊主力は総反撃を実施し殆どが戦死した。
- 7月25日夜、守備隊主力は浅間湾(アサン)に上陸する敵に最後の決戦を挑む。殆ど戦死。
- 7月27日 本田台、マンガン山を米軍戦車群が蹂躙する。
7月28日 持久戦への移行。折田(オルドット)集結命令。
高品師団長 的野高地(マカジナ)中腹で戦死。小畑軍司令官 代わって指揮。
表半島(オロテ)守備隊玉砕。
- 春田山(バリガタ)、平塚(フィネガヤン)の布陣及び戦闘(8月3日)。
宇久井(ウクド)、利久(リクアン)の抵抗陣地(8月6日)。
- 8月10日 叉木山(マタグアック)戦闘、小畑軍指令官は天皇陛下と大本営に最後の打電。8月11日 防衛陣地は突破され、14時35分
小畑軍司令官他 自決した。
組織的戦闘は終わる。
- 以降、終戦までジャングル戦を続行した。
- 昭和47年(1972年)横井庄一さん帰還。
28年間のジャングル生活、島民により発見される。
- 日本軍守備隊総員 20,810人
戦死者 19,135人
生還者 1,305人
(防衛庁 戦史室著 「中部太平洋 陸軍作戦、マリアナ玉砕まで」による)
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